2016.5.16−5.28■伏在の風景 顕在の標/中村成秀 小倉唯史 吉村昌子 山城優摩 高橋康平

■略歴


■伏在の風景 顕在の標
展覧会ファシリテーター/yokart 蔭山リエチ
 
人は「風景=目の前の世界」をどのように見ているか?
ものごとを見るのはたやすいことではない。
見るという行為の中で風景を理解し、表現しようとするとき
人はその輪郭の捉えがたさや実態の曖昧さにおののき、揺らぎ、自問する。

◎5/21 16:00〜17:00 出品作家によるギャラリートークを行います。



中村成秀/NAKAMURA Shigehide
 
今、新しい行路について話すことは困難に思う。
目の前に見える世界を何らかの知性と経験によってまとめあげていく。
難しくも単純でもあり意識的でも無意識的でもあるこの行動から、
私たちは世界を共有しているのです。
並列されるものを前に疑うことにも似た比較する視線によって作り出される空間。
その定まらない視線から身体の在処を確かめたいと思うのです。



小倉唯史/OGURA Tadashi
 
「二つが向かう」
世界は多様でありまた画一的であり、さまざまな姿で目に映りますが、
古代より見解の違いや、視点の相違は多くの誤解や対立を招いて来ました。
 
相対する事柄が調和するとは、どういう事なのでしょうか?
 
私の作品制作では相対する二要素に着目し、それらの調和を確かめています。
現在と過去・未来、此処と彼方、私とあなた…常に私達を私達たらしめる向こう岸は
自らを知る第一歩なのかもしれません。



吉村昌子/YOSHIMURA Masako
 
日常の事象を見つめていると、目の前の物がひきつける力を持って入り込んでくることがあります。
この現象は、平凡でありながらもみずみずしく、新鮮な、生きるという実感を伴っているようです。
視覚やその他の感覚を物事の様相を確認する為にあると考えるのではなく、新たに出会うためと考えるのならば、
私たちは日常の中で常に新鮮な事象に出会う機会を持っていると言えるでしょう。
確かに存在するがなかなか捉えることの出来ない、その生きる証を証明できればと思います。




山城優摩/YAMASHIRO Yuuma
 
ものを作る際、発想の元になるモチーフや関心を持つ対象は人工物である事が多い。
街中を散策する中で発見する不思議な地形や単体としてある造形物の存在感。
誰かが作った風景の中に私達は本来意図されない姿を見出す。
それらに接する時の感覚を思い起こす様なものを作りたいと考えています。



高橋康平/TAKAHASHI Kouhei
 
私たちは名前のあるものしか見ることができません。
それは長い歴史の中で、あらゆる事象ひとつずつに名前がつけられてきたからです。また、時間をかけて −意識的に・無意識的に− 名前のあるもの=必要なもの、という認識が共有されてきたからです。
 
私は「名前のないもの」だけの風景を描いています。名前のあるもの、のすぐとなりに名前のないものがあります。
だけど、ほとんどの人はそれに気づかないのです。