2021.6.6-6.27 中井浩史『かたちと脈動』

中井浩史 『かたちと脈動』
NAKAI HIROSHI 『Form and Pulse』

2021年6月6日(日)-6月27日(日)
12-19時(最終日17時まで)
休廊/月・火・水
 


かたちと脈動
尾崎信一郎
 
「形態の単純さは必ずしも経験の単純さと同一ではない」とはミニマル・アートの理論家、ロバート・モリスの言葉である。この言葉は絵画にも応用することが可能だ。一見単純なイメージこそが豊かな可能性をはらむ。
カンヴァスを支持体とした油彩画であれ紙の上に描かれたドローイングであれ、中井浩史の作品はひとまずは戯れる線として成立する。線が絵画にとって最も基本的な要素の一つであることはいうまでもない。絵画史を振り返るならば、20世紀において線は初めて自律的な意味を得たとはいえないか。すなわちポジとネガといった布置を形成せず、対象の再現からも形態の記述からも解放された線は例えばジャクソン・ポロックのポード絵画において実現されたとみなされた。むろんポロックの線が形象性から自由であるかという点については今日まで議論が重ねられており、単純な結論を許さない。しかしながら中井の絵画について考える際に線の自律という主題は一つの有効な参照点を与えてくれるだろう。
中井が描くイメージは自由と規律のはざまに生成される。最初に中井はイメージの出発点を準備する。それは破られたスケッチブックの上に等間隔に引かれた平行線であり、下塗りの色面の下に見え隠れする活字や図表である。機械的に与えられた手掛かりを起点として中井は自由に線を走らせる。しかしながら私の見るところ、そこにはすでに二つの規律が存在している。まず線は一種の一筆書きとして途切れるところなくイメージを形成する。第二に実現されるイメージは画面の中央に一つのまとまり、ゲシュタルトとして浮かび上がる。一方で中井は線がなんらかの像を結ぶことを避けている。私は中井のアトリエで多くのドローイングを見たが、おびただしいイメージが実現されているにもかかわらず、なんらかの具体的な形象を連想させる例はほとんどなかった。線が像を結ぶことは慎重に回避されているのだ。線が囲む領域が塗り込まれる場合も色面の部分は機械的に決定されて地と像が反転し、形象性は成立しにくい。このような配慮は絵画のフォーマットにも反映されている。すなわち抽象的なイメージであっても縦長の支持体に対しては人の姿、横長の支持体に対しては風景が容易に喚起されるのに対して、多用される正方形という観念的なフォーマットはイメージの連想を生みにくい。先に私は中井のイメージが画面の中心でゲシュタルトを形成する点を指摘したが、スクエアの画面においてこのようなイメージの布置は一つの特性を宿す。すなわち実現されたイメージは方向性の根拠を欠いており、90度回転させることによってたやすくその印象を更新する。このような特性は画面を床に置いて描くという手法と関わっているだろう。イメージは水平に配置される時、上下左右という方向性を失うからだ。さらに仔細に観察するならば中井の線描は一種の反復性を伴っている。先に一筆書きという言葉を用いた。多くの絵画において線は途切れることなく一つのイメージを形作るが、あたかも指で引いたような武骨な線描は触覚性を喚起する一方で、しばしば色を違えて同じ画面の中で繰り返される。
以上のような分析から中井の描くイメージの特質が次第に明らかとなるだろう。先に私はそれを一つのまとまり、ゲシュタルトと呼んだ。しかしこのゲシュタルトは閉じられていない。方向性のないイメージは回転を許容し、線の戯れは反復の中で積層として重複される。前者は空間と関わり、後者は時間と関わる点に留意しよう。このような特性はいわゆるフォーマリズムの絵画の規範からの明らかな逸脱である。そこでは安定した形態と瞬時的な知覚が要請されていたのに対して、中井の絵画に兆すいくつもの徴候、例えば地と像の反転、触覚性の強調、支持体の物質性への拘泥、さらには反復的な構造はことごとくこれらに対立するからだ。今、私は回転と反復という言葉を用いた。意外に感じられるかもしれないが、これらのキーワードから私が連想するのはマルセル・デュシャンが発表したロトレリーフと呼ばれる回転円盤である。デュシャンが最初、発明フェアで販売したというこれらの奇妙な「作品」は正方形ならぬ同心円に似たフォーマット、無数の線の戯れという点において中井の絵画と共通点をもつ。
中井の絵画の特性に私はあらためてパルス(脈動)という名を与えたいと考える。知られているとおり、パルスとはロザリンド・クラウスが一連の著作において、デュシャンに始まり、エルンストからジャコメッティ、さらにはピカソにいたる系譜の中でモダニズム美術に内在しつつ、それを内部から解体する契機とみなした衝動であった。パルスとは「視覚的空間の安定性を破壊し、その特権を奪うことを本性としている。視覚性を支えていると思われる形態の統一性そのものを解体し、溶解させてしまう力が備わっている」中井においてもイメージは安定していない。作家の言葉によれば「絵が絵から開放されて絵の外に軽やかにはみ出していく」感覚こそが求められており、パルスはそのための力なのだ。最初に私は線の自律について論じた。形象に従属せず、幾何学にも従属しない中井の線は空間に対して自由である。同様にそれらの線は時間に対しても自由とはいえないか。ポロックの線描が行為の痕跡として過去に留め置かれるのに対して、回転と脈動をともに秘めた線は一つの時制にとどまることなく脈動を繰り返す。作家の言葉を用いれば「絵の外に軽やかにはみ出していく」のである。この時、絵画それ自体はもはや目的ではない。絵画という場に兆したかたちと脈動、単純にして豊饒なイメージの成立と分裂が見る者の感覚を一新するのだ。
 
(おさき・しんいちろう 鳥取県立博物館館長)
このテクストは2020年4月に執筆されたものです 

Profile(1999-2019)
 
Solo Exhibition
 
2019 city gallery 2320 <Drawings, Paintings, and Other Things / ドローイング、絵画、その辺りのもの>
2018 Gallery Ao <Drawing possibilities of lines right here.>
     2kw gallery <裸の皮膚>
     Street Gallery <Circular Drawing in Street Gallery>
2017 Gallery Ao <Curving Drawing>
     Gallery 301 <Curving Drawing>
2016 Gallery Ao <Curving Drawing> 
     Street Gallery <Circular Drawings on Canvas 2016>
2015 Gallery Ao <draw-ing>
2014 Gallery 301 <BORDERLAND>
2013 Gallery Ao <evaporation>
2012 Gallery 301 <そのイメージは無重力の旅をする>
2011 Gallery Ao
2010 Gallery Ao
2009 Gallery H.O.T
     Gallery Ao
2008 ギャラリー島田 deux
2006 ギャラリー汲美
     ギャラリー島田 deux
     アートスペース虹
2004 信濃橋画廊 apron
     Gallery H.O.T
     ギャラリー島田
2003 Gallery GustoHouse <現代アートに求めるもの、求められるもの 中井浩史展>
2002 西脇市岡之山美術館アトリエ
2001 ギャラリー島田
2000 ギャラリー北野坂・ハンター坂
1999 Gallery GustoHouse
 
Group Exhibition (selected)
 
2016 Gallery 301 <中井浩史×黒瀬剋>
2015 2kw gallery <はじまりの応答>
2014 上七軒グローバル京町家 <cell>
2013 Gallery 睦 <Translucence/Transparency>
2011 Gallery H.O.T <H.O.T Show 2011>
2010 大阪現代美術センター <Gallerism 2010ー画廊の視点ー>
2008 ギャラリー開 <絵画ー平面を巡る思考ー>
2006 ギャラリー開 <表現の位相ー6人の方法ー>
2005 Gallery H.O.T <アートがもたらすプラセボ効果V>
2002 海岸通ギャラリーCASO <現代美術インディペンデントCASO展>